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執筆者の写真運転手・看護師 岡田景太

自己紹介


はじめまして!

令和5年3月1日に長岡京市で介護タクシーしろくまを開業する岡田景太です。

長岡京市・向日市・大山崎町を中心に乙訓地域と京都市が営業範囲となります。

ホームページでも簡単に自己紹介させていただいておりますが、ここではより詳しく自己紹介をさせていただきますので興味がありましたら読んでいただけると幸いです。


私は、昭和58年1月に京都市伏見区で出生しました。

結婚をきっかけに現在は長岡京市に住んでいます。

幼少期は4歳から小学3年生の終わりまで姉の影響で器械体操をしていました。

小学4年生からは空手道を始めたのですが、きっかけは小学校入学時からいじめられていたため、両親がいじめられないように強くしたいという思いで強制的に通わされました。

空手道では1度だけ近畿大会で3位に入賞し全国大会に出場することができました。

そして、空手道を習ったことで精神的に強くなって泣かなくなり、いじめもなくなりました。


中学校では、入学と同時に体操部が新設され友達に誘われたことをきっかけに体操部に入りました。

体操の経験があり、上級生がいなかったこともあり2年間主将を勤めました。

成績の方は・・・種目別で京都市で2位が最高でした。


高校は、京都市北区の紫野高校からのお誘いを受け男子新体操部に入部しました。

すごくマイナーな競技ですが最近はYouTubeのおかげで知ってもらえる機会は増えましたが、当時はほとんど知られておらず女子のイメージが強くて少し馬鹿にされることもありましたが、とても楽しい競技で今でも大好きなのでYouTubeでよく観ています。

成績の方はというと、近畿大会で優勝1回、全国大会には全国高校選抜に2回、インターハイに2回、国体に1回出場しました。最高成績は全国高校選抜で個人総合9位・種目別スティック4位、インターハイで個人総合13位・種目別リング6位、国体で網野高校と混合で出場して9位でした。

新体操は大阪体育大学に進学後も続けましたが度重なる怪我のため3回生の時に断念しました。


大学中退後はすぐに就職はせずにフリーターでパチンコ屋で2年ほど勤めました。

その後、金属加工の会社に就職しNC旋盤や歯切りを担当してギアやプーリーを図面を見て加工するという仕事を2年しました。

そして「公務員になりたい!」と思い立ったことをきっかけに陸上自衛隊に入隊しました。

自衛隊では前期教育隊と後期教育隊でトップの成績を取り、大久保駐屯地に配属されたのですが演習中に古傷の膝と腰の怪我が悪化してしまい1年で退職することになってしまいました。

その時に姉が介護職員をやっていたことがきっかけで特別養護老人ホームに介護職員として就職しました。

介護職員をやっている中で「看護師になりたい」という目標ができ、介護職員を3年続けたのち看護学校に入学しました。

看護学校は結婚していたため、働きながら正看護師まで取得できるように昼間定時制の学校で准看護師を取得し、そのまま進学して正看護師を取得しました。


准看護師を取得後から看護業務に携わるようになり、外来と手術室の兼任を2年間経験しまいした。

3年目は看護学校が実習の期間になったためできる範囲で救急外来や精神科慢性期病棟でパートとして勤務していました。

正看護師取得後は総合病院の一般病棟を1年間経験し、認知症療養病棟を2年間、精神科急性期病棟を3年間経験しています。


今後は介護タクシーの運転手として、介護が必要な方の移動や、通院や外出の付き添いなどでお役に立ちたいと考えています。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

今後とも、介護タクシーしろくまをよろしくお願いします。


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